カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 01月 2021年 07月 2021年 01月 2020年 09月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 04月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 07月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 09月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 02月 2015年 04月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 09月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 01月 2011年 10月 2011年 05月 2011年 04月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2008年 12月 2008年 10月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 11月 2007年 09月 2007年 07月 フォロー中のブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
ブログパーツ
|
◯作品データ 公開日:1951年11月23日(東宝) 尺数:10巻2655米 スタッフ 監督:成瀬巳喜男/製作:藤本眞澄/原作:林芙美子/監修:川端康成/脚色:田中澄江+井手俊郎/撮影:玉井正夫/美術:中古智/録音:藤好昌生/照明:西川鶴三/音楽:早坂文雄 キャスト 岡本初之輔(上原謙)三千代(原節子)里子(島崎雪子)竹中雄蔵(進藤英太郎)すみ(瀧花久子)一夫(二本柳寛)村田まつ(杉村春子)光子(杉葉子)信三(小林桂樹)堂谷小芳(花井蘭子)富安せい子(風見章子)鈴木勝子(立花満枝)鍋井律子(谷間小百合)山北けい子(中北千枝子)谷口しげ(浦辺粂子)芳太郎(大泉滉)金澤りう(音羽久米子)丸山治平(田中春男)岡本隆一郎(山村聰) ※日本映画紹介(キネマ旬報1951年11月上旬号)を参考にした ◯封切成績 キネマ旬報1952年1月上旬号「11月第3・4週東京封切館成績」より めし(7館 173.5%) 11.23-11.29 錦糸町劇場 2万1535人 89万0525円 常盤座 2万7625人 137万5250円 五反田東横 1万0972人 41万9050円 11.23-12.1 日本劇場 5万8609人 424万1933円 渋谷東宝 3万7446人 178万9120円 新宿文化 3万6489人 173万7290円 11.23-12.3 コニー劇場 2万6531人 142万3570円 ※同時期に公開された他社作品は以下の通り。 松竹:大江戸五人男(6館 116.6%) 大映:紅涙草(5館 38.3%) 新東宝:わかれ雲(新宿東宝 9104人 42万9070円 31%) 同号「映画館」より めし(東宝映画、十巻、二六五五米、都内封切十五館)内容が大衆に身近く作品もよく、特に女性を強く引き、東宝近来のヒット作。 映画年鑑1953年版「邦・洋画会社別配収表 B 邦画配収ベスト20(1951年4月~1952年3月)」より 第12位 6694万7912円 同「邦・洋画封切興信録」より めし 東宝 2万7625人 137万5250円 常盤座 ◯シナリオ 映画評論1951年11月号 ◯同時代批評 試写室より めし(清水千代太・キネマ旬報1951年12月上旬号) 日本映画批評 めし(双葉十三郎・キネマ旬報1952年1月上旬号) →日本映画批判 一九三二 - 一九五六(トパーズプレス・1992年8月10日発行)に収録 作品批評 めし(戸田隆雄・映画評論1952年1月号) 日本映画月評(杉山平一・映画芸術1952年2月号) 今月の映画評(早田秀敏・近代映画1952年2月号) ※同月号で取り上げられた作品の中では最高となる85点を得ている。 芸術祭参加作品短評(大黒東洋士・新映画1952年2月号) 映画評(筆名「Q・Q・Q」・財政1952年2月号・大蔵財政協会発行) 最近の映画をめぐつて(家庭科教育1952年7月号) 日本の家庭(小田静枝) 「めし」を見て(松本喜美子) 成瀬巳喜男論―「稲妻」を中心に―(瀧澤一・映画芸術1953年3月号) ◯受賞 キネマ旬報1951年度ベストテン 日本映画第2位 1位:足立忠、大黒東洋士、大塚恭一、岡本博、木村英一、近藤茂雄、清水千代太、杉山平一、早田秀敏、平岩やすひろ、宮睦夫、山本恭子 2位:飯田心美、井澤淳、荻昌弘、白石五郎、登川直樹、双葉十三郎 3位:伊東弘祐、岩崎昶、永戸俊雄、尾崎宏次、島崎清彦、杉山静夫、鈴木康之、谷村錦一、萩原徳二 4位:上野一郎、河上英一、滋野辰彦、渡邊義三郎 5位:飯島正、押川義行、藤井重夫 7位:津村秀夫 9位:清水晶 第6回毎日日本映画コンクール 日本映画賞(「麦秋」と同時受賞) 監督賞:成瀬巳喜男「めし」「銀座化粧」 撮影賞:玉井正夫「めし」 録音賞:藤好昌生「めし」 女優演技賞:原節子「めし」「麦秋」 第2回日本映画文化賞(ブルー・リボン賞、東京映画記者会) 日本映画ベスト・テン第1位 脚本賞第1位:田中澄江「我が家は楽し」「少年期」「めし」 主演女優賞第1位:原節子「麦秋」「めし」 助演女優賞第1位:杉村春子「麦秋」「めし」「命美わし」 1951年度映画世界社賞 作品賞:「めし」 女優演技賞:原節子「麦秋」「めし」 NHK映画委員会選出ベスト・テン 日本映画第2位「めし」 ※スタア1952年3月号に選考過程が掲載(「一九五一年・決算 NHK映画委員会選出並に座談会速記」)。 出席者:飯島正・飯田心美・清水千代太・上野一郎/司会:南部圭之助 東京都民映画コンクール(東京都教育庁視覚教育課・東京新聞社) 第10回(昭和26年度下半期)第2位 シナリオ作家協会賞 昭和26年度芸術祭参加作品 ◯井手俊郎の述懐 (略)「妻もの」の一番はじめは・・・・・・もういやになってきた。だいたい「妻もの」なんて言葉があるのかな? あるからうっかり僕も書いたんだな。無神経にこんな言葉を使うようになったんだな、僕も。まあいいや。しかし、妻だの、女だの、家だの、娘だのって、僕はほとんど全く興味がない。心あたたまるホームドラマって奴が大嫌い。僕の好きなのは東映の時代劇と小林旭のアクションもの、それもこの頃は宍戸錠の方が面白くなった。僕はシナリオライターという仕事をいやいやながらやってるために、原稿用紙を見ただけで胃が痛くなる。胃がムカムカすると、何をするのもいやになる。そんな時、どんな薬もきかないけれど、東映の時代劇と日活のアクション物を見てると、その間だけは胃の存在を忘れることが出来る。大変ありがたい。 ええと何の話だったっけ。ああ妻ものか。一番はじめは多分、林芙美子の「めし」だな。 朝日新聞連載中に作者の林さんが亡くなられたので、これは未完の小説です。倦怠期の夫婦がモタモタしてるうちに、プツリと切れてます。小説の脚色をする時は、僕はなるべく忠実に脚色することにしている。その方が作者もごきげんだし、読者が映画を見ても満足する。下手にいろいろ工夫して脚色して、出来そこなったら、シナリオのせいになっちまうし、原作に忠実にやっとけば、責任が軽くて気が楽だから。ところがこの小説は後半がない。つまり結末がない。どうしてもこっちで何か書かなければならない。妻だの、母だの家だの、興味ないけど、離婚ならホンの少し興味がある。何でもいいから、ブッこわすのは子供の時から好きだ。積木を自分でコツコツと積むのは大嫌い。人に積ましといて、こっちはガラガラッとこわすのだけは大好きだった。だから離婚はいい。「めし」の夫婦はせっかく倦怠期だ。作者は死んじゃっていらっしゃらない。ようし、この夫婦を離婚させてやろうと思って、共同脚色者の田中澄求(下線部原文ママ)さんに相談したら、田中さんはカソリックのくせに案外もの好きで賛成して下さった。そこでラストは夫婦別れのシナリオを書いたら、朝日新聞から離婚は困るという申し出があった。製作会社の東宝でもやっぱりラストでは夫婦仲直りしなくちゃ興行価値がないという。そういう時、僕は例の積木と同じで、コツコツとねばるのは大嫌いで、ガラガラッと自分の意見でも何でもこわすのが好きだからあっさりあきらめて、夫婦仲よく再出発というラストに書き直した。 その次ぎは「妻」だったかな。これはやはり林芙美子の小説で「茶色の眼」というのが原題である。これを読んだら驚いた。だいたい「めし」と同じような小説で、「めし」のちょっと前に書かれたものらしいけど、これではラストがチャンと離婚になっているのである。残念でした。「めし」の時、参考にでもこの小説を読んでたら、原作者もやっぱり離婚を主題にしてるじゃないかとがんばれたのに、怠けてその時は読まなかったんだから後の祭り。 しかし今度は原作の通りにやったって、結末が離婚だからと、少しばかり面白がって書いたら、なんと東宝で、やっぱりラストは離婚は困るという。そもそも離婚をテーマにした小説なのに、それを忠実に脚色して、ラストだけ仲直りにしろってわけ。だからシナリオライターなんて胃が痛くなるんだけど、僕は例の自分の意見をガラガラとこわして引き下がるのが好きなので、この時も、会社の注文通り離婚小説を偕老同穴に脚色して脚本料を稼ぎ、林芙美子さんに心の中であやまりました。(略)(「「妻として女として」のシナリオ・ライターとして」シナリオ1961年5月号) 「めし」(二六年)は朝日新聞連載中に林芙美子の死亡で、中絶した未完の小説で、田中澄江さんが脚色した。小説には描かれていないラストをどうするかで、やはりもめた。田中さんは夫婦の離婚を結末にすると主張、藤本さんは「あんたカトリックのくせに離婚を認めるのか」と反論、やり合った。朝日も離婚させたら当らないとの説をとり、藤本さんを支持していた。 シナリオでもめ、代役登場の三つの例に見るように、藤本さんの引出しには、石坂もの、源氏もの、林芙美子ものが、いつも仕舞いこまれていた。 (「東宝再建の基礎づくり 「三等重役」と藤本カラー」映画芸術1965年8月号) 林芙美子の『めし』は昭和二十六年、『朝日新聞』に連載された小説である。ところが連載中の六月二十八日、林さんは突然亡くなられて、『めし』はそのまま打ち切られた。 その未完の小説を映画化することになった。後半からラストをどうするか。脚色を田中澄江さんにお願いして、私(井手)が手伝うことになった。 結婚は、していいものでもあるし、しないで済むものなら、しなくてもいいものだね、と初之輔が言った。 『めし』の最初の文章である。 初之輔は三十代半ばのサラリーマン。妻の三千代は二十八歳。二人は大阪で暮らしているが、結婚五年目。子供はない。三千代は猫ばかり可愛がっている。初之輔が浮気をしたわけでもなく、三千代に好きな人が出来たわけでもない。何となく倦怠期。三千代は言う。 「私、東京へ戻って働きたいわ。働いていたら、こんな気持ちもないと思います。――毎月、何とかかとか、つな渡りみたいな生活じゃありませんか?、戦争がすんで、足掛六年にもなって、まだ、お米の心配をしたり、代用食ばかりの連続ですよ。そして、私は、そのなかで、大切な時代を朽ちて行くなんて、とても淋しい・・・・・・。不幸な子供でも貰って、せめて、子供を、この切りつめた生活のなかで、そだてて、気をまぎらせてみたいなんて、空想もしていたんですけど、あなたって、私の心の問題については、何一つ考えてごらんにもならない・・・・・・。こんな荒涼とした夫婦生活って、意味がないわ。」 二人の気持ちはこういう状態のまま、小説はプツンと切れている。林さんはラストをどうするつもりだったんだろう? 私はサッパリと別れてしまった方がいいと思ったけど、田中さんは、それじゃ可哀そうだから、もう一度二人の気持ちを寄せ合って、やり直しをさせたらという意見だったように思う。 『朝日新聞』の方でも、その方がいい。東宝の会社はもちろんハッピー・エンドでなくちゃ商売にならない。というわけで、結局そういうことになってしまった。「めし」という題名から考えても、夫婦の味は米のめしみたいなもんだ。林さんもそのつもりだったんだと言われると、そうかもしれないなアと思って私も賛成した。 監督は千葉泰樹さん。主演の俳優は、ほんとうは誰か、新劇の渋い人でやったらいいんだがなアと、藤本さんはそんな気持ちもあったらしいけど、結局、上原謙、原節子ということになった。二人とも華やかな大スターで、倦怠期のしょぼくれた夫婦役は、ちょっと違うような気もするけれど、二人とも気持ちよく引き受けて下さった。その他、小林桂樹、杉村春子、二本柳寛、花井蘭子、中北千枝子、杉葉子、島崎雪子、オールスター共演で、いよいよ撮影開始という直前になって、千葉監督が病気でダウン。回復を待つわけにいかなくて、成瀬巳喜男監督が代わりにやって下さることになった。映画のラスト近く、夫婦の気持ちが寄りそって行くあたりは、成瀬さんのおかげで、随分きめ細かくなったと思う。 出来上がった映画はなかなか評判がよくて、質的にも、その年のベスト・テンの中に入り、興行的にも成功だった。(略)(「「めし」から「妻」へ」『プロデューサー人生・藤本真澄 映画に賭ける』P.29-31・東宝出版事業室・1981年12月1日発行) (略)井手 あれは僕も三十年振りに見ました。何にもないと言えば、ほんとに何んにもない話でしょ。僕がシナリオを書き出して、一、二年目の、まだ全然ライターの意識のない時代にただホワーと書いたんですけどね。(略) (略)それから「めし」は、こんなに何んにもなくてどうするんだろうと、本当に思った。しかも、林芙美子さんが途中で亡くなられて未完で終ってるから後半を作らなければならない。その時、僕は全く無名ですから、朝日新聞の学芸部が田中澄江さんに後半を作って貰うということで、二人で作ったんですが、全然ダメだと言われちゃって・・・・・・作りすぎたのかな。それで大急ぎで僕がとにかくでっち上げたんですが、その時の拠り所というのが ”三勝半七酒屋の段” 。これはカブキの中でも ”愚劇” と言われてるんですが、お園という奥さんがいて、亭主は芸者と浮気して離婚するんだけど、やっぱり亭主が恋しくて、別れた亭主の家へ帰ってくる。そこで亭主が留守の家で ”今頃は半七さん、どこにどうして御座ろうぞ” と嘆く。その後、浄瑠璃の文句で ”こんなことなら去年の秋の患いで、いっそ私が死んでしまったら良かった” と。それに合せて、一人でそこら辺りを片付けながらいろんな所作を見せる。それを延々とやるんです。なんにもなくて、日常茶飯の茶の間の奥さんの動きだけで持たせる。そこで「めし」もきっともつだろうと(笑)成瀬巳喜男という人が、それのなかなか上手い人で、それがピタッといってしまった。 あの「めし」がテレビの「七人の孫」にきてるんですよ。テレビのホームドラマを ”飯食いドラマ” にした責任の一端は僕にもある。(略) 斎藤 「めし」の話、ちょっと続けさせて頂くと、カブキの方は亭主の浮気という事件がありますよね。ところが「めし」は亭主は浮気もしていない。もっと何んにもないわけですよね。何んにもないところで、何が話になるか。・・・・・・テレビ見てて、無理して作ることは無いんだと、僕はそこで眼から鱗が落ちました(笑) 井手 成瀬さんは、その頃スランプの極値で自信なくしていて・・・・・・その上、この「めし」は他の監督に決まっていたのが、その人が病気になってしまって、ピンチヒッターだったんですよ。だから気は楽。ホンにも何んにも言わなかった。(略) 僕は劇場にいたから、一本の映画の途中から見るお客を魅きつけるためには、劇場へ入った瞬間笑えるセリフがないといけないと思ってるんです。ストーリーは分らなくても。シナリオはショー、レビュー、サーカスでなければいけない、と。 斎藤 「めし」というのも、サーカスみたいにトンボ切ったりのハラハラドキドキはないけれど・・・・・・ 井手 とにかくその瞬間々々を持たせて、最大の事件は小林桂樹が怒るところだけです。 斎藤 シナリオは構成であるという解釈がありますよね。起承転結だったり序破急だったりと。でも、どこで切ってもその神髄は同じなんじゃないかという・・・・・・ 井手 金太郎アメじゃなくてはいかん、と僕は言ってるわけ。大衆芸術というのは大道芸で通りかかった人が面白そうに見るところから始まる。(略)(「Scenario Forum 映画をより面白く見る方法㉗」シナリオ1985年3月号・出席者:井手俊郎・桂千穂・斎藤博/下線部原文傍点付) ◯参考資料 短信(キネマ旬報1951年6月上旬号) 撮影所通信(キネマ旬報1951年7月下旬号) 各社の企画作品(キネマ旬報1951年8月上旬号) 映画界ニュース縮刷版(近代映画1951年8月号) めし(キネマ旬報1951年11月上旬号) “めし” 第一報(近代映画1951年12月号) 試写室便り めし(面白倶楽部1952年1月号) 日本映画の現実問題(筈見恒夫・映画芸術1952年1月号) 映画批評家はこう見る あゝ乾杯!原節子さん(近代映画1952年1月号) ※対談:大黒東洋士・原節子 映画恋愛読本(近代映画1952年2月号) 愛の考現学 ラブ・シーンは誰が一番うまいか(旗一兵) 愛情よ何処へ?(三井鉄夫) 恋愛小説映画化の跡 映画が描いた恋愛のお話 『源氏物語』から『めし』まで(山田愼吉) キネマ旬報1951年度内外ベスト・テン(キネマ旬報1952年2月上旬号) 1951年封切日本映画一覧表(キネマ旬報1952年2月上旬号) 映画批評家はこう見る 可愛いゝ女!島崎さん(近代映画1952年3月号) ※対談:永戸俊雄・島崎雪子 映画界ニュース・縮刷版(近代映画1952年3月号) 映画界ニュース・縮刷版(近代映画1952年5月号) 映画年鑑1953年版 林芙美子さんの作品と私(成瀬巳喜男・映画旬刊1956年3月上旬号) めし(佐藤忠男・キネマ旬報増刊 日本映画200・1982年5月30日発行) 日本映画シナリオ百選(キネマ旬報1962年10月上旬号) ※選者:飯田心美・岩崎昶・大黒東洋士・小倉真美・北川冬彦・小林勝・杉山静夫・杉山平一・津村秀夫・村上忠久 戦後20年日本・外国映画傑作100選(キネマ旬報1965年8月下旬号) ※飯田心美・井沢淳・大黒東洋士・杉山平一・津村秀夫・外村完二が投票。「恋愛結婚五年後、倦怠期にきた夫婦の話。女性心理に冴えをみせる成瀬演出の独壇場で庶民生活の実感をバックに描いたあたり原作に劣らない。主役の原節子、脇役の島崎雪子は演技経歴中の最高をしめす(飯田)」
by vince_et_marcel
| 2019-01-11 00:35
| 研究
|
Comments(1)
|
ファン申請 |
||